秩父から日本全国、そして
世界へ伝わる伝統と技術
銃砲史学会の銃砲史研究の一節に、・・・ ところが、ここに先々代から花火屋が住んでおり現在も住まって煙火を行としている金子家のあることを知らされたのである。この家は、今まで「カバラザワ」という名前で呼ばれていたそうで、これは桑原沢のなまったものだと言われた。今は、音楽花火で有名になった家である。 ・・・略
この記述は、江戸時代末期に当社敷地において硝石の製硝作業が行われ幕府に納められたという研究報告の一部である。秩父各地より硝石の混じった土を集め、水に溶き煮沸させ硝石を取り出した場所が当社敷地であった、との内容である。当時は花火用ではなく銃砲用に生産されており、宇都宮や水戸周辺と共に江戸へ移送されていた。
明治時代には、秩父各地の祭りで龍勢花火が盛んに行われ、当社でも龍勢の薬詰め作業が行われていた。龍勢とは、農民が主体となり祭り等の際に、中をくり貫いた竹に火薬を詰めロケットの様に打ち揚げるもので、現在でも秩父吉田の龍勢祭りは非常に有名で多くの観光客に喜ばれている。 またこの頃、日本に塩素酸カリウムが入ってきて花火を急速に発達させ、現在の日本の花火の基本を築いた。
大正時代に入ると当社先々代が正式に火薬類製造取扱の許可を受け、本格的に花火製造を始めた。 400年の歴史を持つ秩父夜祭もこの頃から大々的に花火を行なう様になり、秩父市3社、周辺地区3社の6社の花火業者が腕を競うようになる。
近年では、秩父市の花火業者は当社1社になってしまったが、秩父の花火の発祥の地であるという責任と、この歴史と技術を守る義務を有することを再確認し日々努力する所存である。
14,000平方メートルの敷地に運搬、製造、保管、出荷等の作業が安全にできるよう、約30棟あまりの建物が点在し、当社工場を形成しています。
花火を一発づつ打上げる方法で、花火師の腕の見せどころである色の変化や形状を観賞します。 花火の名前(玉名)が理解できればより良い花火の見方ができます。
多数の打上筒を用意し、花火を連続的に打上る方法。豪華な花園が近年の花火大会に受け入れられています。
近年の大量消費に合わせ、約20,000本の各種打上筒を用意し、どのような規模の花火大会にも対応できるように準備しております。
近年盛んに作られている造形花火であり、蝶、麦わら帽子、土星、きのこ、傘、数字等のものがあります。
花火は2.5寸玉(直径7.5センチメートル)から2尺玉(直径60センチメートル)以上まで各種あり、その種類は基本的なもので300種類以上もあります。
秩父路に早春を告げる秩父山田の春祭り(市内恒持神社)のクライマックスを艶やかに飾る大スターマイン。
幅300メートルの打上現場をあたかも巨大なスクリーンのごとく利用し、音楽と共に人々に春を知らせる。「春の舞」と称し毎年色々なアイディアを駆使し、多くの人を引きつけています。
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